週に二回アートの授業があり私が教えていたのですが、意外な事に言葉が通じない事はそれほど困りませんでした。その日作るもののサンプルを見せ、手順を実際に作業を見せながら説明する。それで授業は進んで行きました。
ほっとしながら作業を見守っていましたが、どうやらその子はアートがとても好きなようでとても集中して制作していました。毎回待ってましたとばかりに今日は何を作るのかと迫ってくる勢いでした。レッスンを重ねるたびに作品への執着はより強く、密度はグングン上がって行きました。同じクラスの子とはちょっとレベルが違うくらいの完成度に瞬く間になって行き、アートが大変得意な子として先生たちにも認識されて行きました。
よくいわれる事ではありますが子供の様々な事柄への吸収力はとどまる事はなく、その子は英語も大変な早さで覚えて行き2、3ヶ月すると普通に友達や先生と会話をするようになっていました。私に対しては日本語で冗談を飛ばすほどでした。
コミュニケーションへの不安がなくなって行く事に先生たちは安堵していきましたが、その頃から私は彼の制作への変化を感じだしました。語彙が増え、会話に不自由がなくなるにつれアートへの熱意はみるみる下がって行きました。何か作るよりしゃべる方が楽しくなってきたのです。それからは彼に対してしゃべらないように注意する事の方が多くなり、以前のように制作に没頭する事はなくなりました。
アートの先生としては寂しくもありますが、以前の状態が異常であったのです。言葉のコミュニケーションが断たれた為その分がビジュアルでのやり取りに注がれていた、という事だと思います。そう思うに至ったのは同じようにフランス語しか話せない子をその後に教えた時も英語がわかるようになるまでの数ヶ月、アートに対して大変な集中を見せるという姿を見た為です。
あとにも先にもあれほど没頭して制作するこどもの姿というのは見たことがありません。
アートを教えていますのでアートをより好きになってほしい、すばらしい作品を作ってほしいとはいつも考えていますが、限度があるという事はこの経験からよくわかりました。あのままずっと周囲と言葉の通じない状況におかれていたら、彼はすばらしい作品を作り続けたのでしょうか?レベルアップし続け偉大な芸術家になるのでしょうか?
言葉の習得と、周囲との意思疎通と、集団生活とそこから得る諸々がありその先に子供にとってのアートがあるという事なのだと思います。全方位にすべて子供ががんばるという事はありません。現状だけをみてその子に能力があるとか、才能があるとか簡単にいうべきではないです。環境により子供の状態は刻一刻と変わります。能力と思われるものが消えて行くこともよくあります、でもそれは引き戻そうとはせず、次の他のものに興味が移って行ったという事で、いってらっしゃいと見送るのが先生の役割であるとイタリア人の男の子のアートに燃えていた数ヶ月の姿を思い出します。
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2.5歳〜6歳
年齢によりクラス分けあります。
10時〜
11時50分〜
1月19日
「ペットボトルで作るスノードーム風こけし」
2月2日
「バレンタイン〜毛糸で作るあったかハート」
3月16日
「木材パーツで作るお家」
3歳以上
14時〜白金台いきいきプラザにて
2月16日
「大空に飛ぶ気球のレリーフ」
3~6歳
1月26日
「紙版画〜新年のモチーフ」
2月11日
東京国際フォーラム
にてワークショップ(詳細はお待ちください)
2月23日
「内容未定」
3月9日
「内容未定」